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子育地蔵尊

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子育地蔵尊の由来

元禄の末頃、小泉源兵衛がここに住みつき、この周辺は源兵衛村と呼ばれるようになりました。 源兵衛の功績を記念して亨保十一年(1726年)に村の有志者が源兵衛地蔵を安置しました。

庚申塔(こうしんとう)

元禄の末頃、小泉源兵衛がここに住みつき、この周辺は源兵衛村と呼ばれるようになりました。 源兵衛の功績を記念して亨保十一年(1726年)に村の有志者が源兵衛地蔵を安置しました。

彰忠碑石(しょうちゅうひせき)

元禄の末頃、小泉源兵衛がここに住みつき、この周辺は源兵衛村と呼ばれるようになりました。 源兵衛の功績を記念して亨保十一年(1726年)に村の有志者が源兵衛地蔵を安置しました。

願いがかなうお地蔵様

このお地蔵様の御利益は、子宝・安産、病気治癒、商売繁盛、交通安産など多岐にわたり、願いがかなうお地蔵様として地域の人から大切にされ、近年では"子育地蔵"として親しまれています。

源兵衛村(げんべえむら)

源兵衛村は、戸塚町、西早稲田と地名は変わりました。しかし、源兵衛村の先人たちのおかげで、今があるということを忘れてはいけません。そして、先人の残した地蔵尊を後世の人々に伝え、末永く継承していくことが大切だと思います。地域の人々から愛される子育地蔵尊は商店会の管理のもとに三年に一度大法要が行われています。

東京空襲(とうきょうくうしゅう)

東京空襲で、戸塚地域がほとんど焼け野原になったとき、この地蔵尊の周辺だけは、奇跡的に焼け残りました。みな、お地蔵様が守ってくださったと感謝したそうです。

地蔵豆知識 ~そもそも地蔵って?~

お地蔵さんにまつわる言い伝えは各地あり、それだけ地蔵尊信仰は人々の心に深く刻みこまれているといえますね。こちらではお地蔵さんに関する豆知識を少しご紹介しましょう。お地蔵さん(地蔵菩薩、じぞうぼさつ)は、仏教の信仰対象である菩薩の1つです。 サンスクリット語ではクシチガルバ(Kstigarbha)と言われます。 これは「大地」という意味の語と、「胎内、子宮」という意味の語の合成語で、それを意訳して日本語では「地蔵」というわけです。大地は私たちの衣食住から金銀財宝に至るまで、いろいろなものを与えてくれます。お地蔵さんも同様に私たちにいろいろなご利益を与えてくれるところから、この名前がついたという説もあります。安産・健康・長寿・智恵・豊作・求財などにご利益があるとされますが、本来のお地蔵さまの役目は、お釈迦様が亡くなってから五十六億七千万年後に弥勒菩薩が登場するまでの仏様のいない期間に、地獄・飢餓・畜生・阿修羅・人・天の六道に輪廻(さまようこと)して苦しむ人々を救うこととされているのです。中国においては、地蔵菩薩は十王思想と結びついて地藏王菩薩とも呼ばれ、冥界の教主としても信仰を集めています。 閻魔王として死者を裁くことから、主に死後の(地獄からの)救済を願って信仰されるのです。 日本の神奈川県横浜市中区にも、華僑によって建立された死者の永眠を祀る地藏王廟(中華義荘)があります。

地蔵豆知識 ~地蔵の種類~

大変身近なお地蔵さんですが、さまざまな種類があるのはご存知ですか?ここでは代表的なお地蔵さんをご紹介します。

とげぬき地蔵

「とげぬき地蔵尊」の名で特に年配の方に親しまれるこのお寺は、正式には曹洞宗萬頂山高岩寺となります。 慶長元年(1596年)に江戸湯島に開かれ約60年後、下谷屏風坂に移り現在の巣鴨には明治24年(1891年)に移転してきました。江戸時代、武士であった田付又四郎が、夢枕に立ったお地蔵さんのお告げ通り、お地蔵さんの姿を描いた紙を川に流すと妻の病が回復したことが境内で売られている御影の始まりとされています。毛利家の女中が誤って針を飲み、この御影を飲み込んだ所、針を吐き出すことが出来たという逸話が残っており、そこから他の病気の治癒改善にもご利益があるとされ、現在に到るまでそのご利益を求めて多くの参拝者が訪れているのです。

水子地蔵

水子地蔵とは残念ながら流産などでこの世に生まれて来ることが出来なかった赤ちゃんや、幼くして亡くなってしまった幼児を、お地蔵さまに守って頂こうという願いが込められているのです。お地蔵さまは子供を守る仏と位置づけられていたことから、水子の観念と結びついたのではないかとされています。

開運地蔵

銀座出世地蔵は明治のはじめ頃、現在の銀座三原橋辺りを流れていた三十間堀川の工事中に発見されたといわれるお地蔵さんです。 地元の鳶の親方が大切に祀っていたのですが、戦災の中で再び行方不明となってしまいました。その後またひょっこりと見つかったことから今度こそ行方不明にならないようにと、現在は三越屋上に祀られることになりました。土の中から見つかったお地蔵さまが、百貨店の屋上まで「出世」したことから「銀座出世地蔵」と呼ばれ、多くの人が出世を願ってお参りをしに訪れます。

洗い地蔵

東京都台東区の浄名院には、江戸六地蔵のひとつ「あらい地蔵」があります。お参りする人は、自らの身体の不調な箇所を改善したいと念じながらこの地蔵の該当する場所をタワシで洗うと、良くなるとされています。ひとびとの祈りがこのような具体的な行動として表現されるのは、地蔵だけに限ったことではなく、世界的にみても色々なところで見られる人間にとって普遍的な出来事と思われますが、巣鴨のとげぬき地蔵の例からも伺えるように、お地蔵さまの場合にはその親しみやすい姿ゆえか、特にこのような営みが馴染みやすい歴史があったと想像されます。

江戸六地蔵

江戸に出入りする六つの街道の入口にそれぞれ一体ずつ安置され、「江戸六地蔵」と呼ばれました。乗り物などない時代に旅の安全を祈願した地蔵なのです。 ちなみに「江戸六地蔵」とは、それぞれ宝永年間のもと元禄年間のものがあり、現在でいう一般的な六地藏は宝永年間のものを示します。

地蔵豆知識 ~地蔵の歴史~

ここではお地蔵さんの歴史についてご紹介していきましょう。日本には奈良時代、地蔵経典の伝来がありましたが信仰としては殆ど広がりを見せませんでした。 浄土信仰が普及した平安時代以降、極楽浄土に往生のかなわない衆生は、必ず地獄へ堕ちるものという信仰が急激に広まり、お地蔵さんに対して、地獄における責め苦から救ってもらおうという想いから、信仰され始めました。賽の河原で獄卒に責められる子供たちをお地蔵さんが守ってくれるという民間信仰もあり、子供や水子の供養でも地蔵は民衆の信仰を集めました。鎌倉時代に入ると阿弥陀浄土信仰と融合して、さらに広く民衆に広まっていきました。 日本民衆に多くの親しみ与えた地蔵信仰は、室町時代に六道輪廻の各所に現れる六地蔵信仰からさらなる爆発的な信仰の広がりを見せ、日本古来よりの道祖神と習合して発達していくのでした。 江戸時代には鎌倉時代に始まった身代わり地蔵信仰が発展して、泥付地蔵(田植え)・矢取地蔵・縄目地蔵・延命地蔵・子育地蔵・腹帯地蔵・とげぬき地蔵・水子地蔵などが数多く作り出されました。

地蔵豆知識 ~神社と寺院の違い~

お寺が仏教で「仏様」を祀ってあるのに対し、 神社は神教で「神様」を祀っています。 宗教の違いは祀ってるものが違います。でも、確かに初詣にお寺に行くこともありますよね。 あと、「般若心経」など、どちらも同じお経を唱えたりします。 けっこう似てるところがあります。それはなぜかと言うと、元々は日本では神様を祀るのに建物などは建てず、一般に御神体となっている山などを直接拝んでいました。しかし6世紀頃に大陸から仏教が入ってきて、お寺が多数建てられはじめますと、神道側も、建物を建て始めました。これが神社です。しかし、当時「よその国の神様なんか拝めない」と抵抗する民衆が大勢いました。そこで仏教を広めたい人たちは、「実は仏様も神様も同じものなのだよ」という説得の仕方をしました。仏教と神道が融合した、いわゆる神仏混淆の世界が生まれたのです。これは奈良時代から明治の神仏分離令まで続きました。そのため、現在でもそのなごりで、お寺に狛犬があったり、 神社に魚板があったりするところがあります。神社とお寺が同じ境内の中にあったりするのもこのなごりです。大晦日はお寺で鐘をつき、初詣は神様にお願いし、結婚式はキリスト様に誓い、死ぬときは仏様に拝む。宗教に対して柔軟性があるというか、不思議な国なんですよね、日本て。